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05東京国際女子マラソンに
行ってきました。【中編】

2005.11.24
マハロ菊池

No.1292

そして、今年も号砲とともに集団が一斉に動き出す。まずはトラック1周目が私の時計で1分22秒程度。(計時するなよってか!)
白地に赤い41番と42番のナンバープレートの選手はペースランナーである。

ちなみに、東京国際女子マラソンは1979年に世界で初めて国際陸連公認の女子のみで行われるレースとして始まり、今年で27回。出場者50人で始まった第1回大会はジョイス・スミス(イギリス)が2:37:48で優勝。以後1983年の第5回大会で、ホープ軒にサイン色紙が貼ってある佐々木七恵選手が日本人で初めて優勝。
その後は、1991年の13回大会で、ご存知谷川真理選手が2:31:27で優勝するまで日本人の優勝はありませんでした。
http://www.asahi.com/tokyo-marathon/results/1991.html

1995年に浅利純子選手、1996年に藤村信子選手とダイハツ勢の優勝が続き、1997年に伊藤真貴子選手、1998年は再度浅利純子選手。このときは、後にシドニー代表となる市橋有里選手とのフィニッシュライン手前50cm差のデットヒートでした。
http://www.asahi.com/tokyo-marathon/results/1998.html

今思うと、この浅利純子選手(2001年引退)が1993年の1月の大阪国際で優勝して、ドイツ・シュツットガルトの世界選手権で、日本人女子で初めて金メダルを獲った。このことがブレークスルーとなって、現在の日本の女子マラソンの興隆があるような気がしますね。

そして1999年天満屋の山口衛里選手が2:22:12という大会新記録で優勝。彼女はこのレースでシドニー五輪の切符を手にするわけですが、この記録が生まれた背景には当時旭化成所属で初マラソンだった千葉真子選手が持ち前のスピードで16分台の前半でぐいぐい引っ張ったのが大きいですね。
http://www.asahi.com/tokyo-marathon/results/1999.html

ちょっと長くなりましたが、つまり何が言いたいのかというと、この大会で日本人で優勝しているのは、まだたった6人しかいないということで、これは出れば簡単に優勝できるってもんじゃないですよね。
それに、アテネでラドクリフ選手が途中棄権してしまったように、マラソンの神様はなかなか嫉妬深いみたいですから。

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スタート後は市民の部も続いて長い列ができた。


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列の先頭部。
高橋選手、足に問題なく走ってる模様。


更新:2005.11.25
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