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第2回 新宿シティハーフマラソン
10Kの部だ。

2004.2.2
マハロ菊池

No.1097

10kmのレースは2度目ですが、前は5月で気候も良く半そでにハーフタイツでしたが、さすがに2月は寒いでしょう。世間一般的には寒い時期だからランニング大会を行なうんでしょうが、走るのは好きになったが寒いのが嫌いな私には、走りたいが寒いという、痩せたいが食べたいとは似てるけどちょっと違う状態でありますが、この日風もなく気温8℃の中9時10分スタート。

まずは国立競技場の400mトラック1周中にゲストランナーのサンプラザ中野さんを置き去りにしてからホープ軒を目指し進んで、でもレースだから当然ホープ軒には行かずに手前で明治公園を左折して坂を登り周回道路に出て銀杏並木を目指す。それほど寒くなくいい調子。青山通りの手前で折り返して同じコースを3周である。これが単調なんですが普段昼休みに歩いてる見慣れた場所なんで安心して走れる。日本青年館の所にアウトリガーさん発見。応援アリガトウー。さて問題は距離表示がないことです。普通レースっていえば、だいたい1kmおきにあるんですが、2周目の初めに5kmの表示しかありません。ちなみに5kmが17分位。おかしいなあそんな速く走れる訳ないんだがなあ。きっと表示位置が間違っているんでしょう。でもいいね、いいね。こりゃいくかもな。抜くぞ、抜くぞうと頑張り、走ってはまた国立競技場を走るの繰り返し。息はやや苦しいですがここは我慢である。なにせたった10kmで終わりだからさ。最後代々木門から入ってトラック3/4周でフィ二〜ッシュ。すぐに記録証がプリントアウトされて44分14秒で40歳男子の部34位。おお、すごいすごい。やはり冬のほうが記録は良いのかなあ。走りはじめて2年でやっと10k45分の壁が切れましたね。

さて、私の10kmのレースは上記のように別にどうってことない短いレース展開でしたが、今回特筆すべきはハーフのゲストランナーが瀬古さんと山田敬蔵さんであったことでした。で、このお二人の共通項はボストンマラソンの優勝者であるということです。ちなみに山田さんは1953年、瀬古さんは1981年と1987年の2回優勝しています。

ちなみに山田さんの生れ故郷、秋田県大館市では昭和28年から毎年4月29日に山田記念ロードレース大会を行っています。そのマラソンに打ち込む努力の姿は、昭和29年に大映で「心臓破りの丘」という映画になっているそうです。うーん観てみたいなあ。平成13年に73歳で目標としてきたランニング生涯距離30万kmを達成。そして現在も走っているわけです。すごいね。ちなみにボストンマラソンは、その優勝者を50年後に招待するというなかなか洒落た良き伝統があり、山田さんも2003年に招待され走ってこられたそうです。ちなみにタイムは4時間10分11秒。70歳以上の部で5位。(山田さんより速い70歳以上の人がさらに4人もいることにまたびっくり)
つまり、そうすると瀬古さんは2031年に招待されるわけだ。その時、私は69歳で、今日走る姿を見せていただいた山田さんに近い年齢になっているわけです。私は山田さんのように元気に走っていられるかなあ。タイムはともかくとして、フルは無理でも2km健康マラソンの部なら孫の手を引いて(引かれてか)走っていられる位の健康体は維持していたいものです。そんなこんなで、走るということに対する思いを新たにした1日でありました。寒いと思ってたら暖かく、春の足音が聞こえる良い一日でありましたよ。

今回特筆すべきはゲストランナーがサンプラザ中野さんだったということも付け加えておきます。「走る〜、はしる〜おれ〜た〜ち」というおなじみのやつを閉会式前に歌っていただきました。来年は新宿ニューハーフマラソンをやって世界中のニューハーフを集結させていただきたいといっておりました。

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スタート10分前の国立競技場(撮影:アウトリガー沖田さん)
健康やダイエットのため走り始める時に、
目標をフルマラソンの完走にすると10Kは気楽ですよ。
また、10Kは走力チェックにも良い距離だと思います。


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中央赤い手袋が山田敬蔵さん。


更新:2004.2.2
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