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そうだったのか荒川君

2004.2.16
マハロ菊池

No.1101

3月の荒川市民マラソンの前に少しでもコースに馴れておくために、石神井公園から岩淵の水門まで往復ランしてみました。30kmちょいですが、新しく買ったGT-2080SWの長めの距離での履き心地と新宿シティハーフマラソンでもらったデイパックの背負い心地を試しつつ、休日の朝食前のちょっと長かったかな〜という約4時間のLSDでありました。

さてさて、荒川を走ってるとついついそれが自然な昔からの景色だと思ってしまいがちですが、隅田川と分岐する岩淵水門から下流部分は、大正2年から昭和5年にかけて「荒川放水路」として開削された、全長約21kmの人工の河川だそうです。つまり人間がコツコツ掘った川だったのね。まあ、段々になってる土手なんかは護岸工事というのか治水のため高くしたんだろうなあなんて思いながらたらたら走ってたんですが、あの広い河川敷も川も人工物だったとはね。詳しくは荒川下流河川事務所ARA<http://www.ara.or.jp>で学習できます。

ちなみにパナマ運河建設に携わった唯一の日本人である内務省技士 青山士(あきら)氏が建設の指揮をとったそうです。昭和40年改正の河川法により、荒川放水路を「荒川」、それまでの荒川を「隅田川」と呼ぶことに。なんだ隅田川が本当は荒川だったのか、ややっこしいなあ。
また、昭和63年、河口の東京湾を埋め立てたことで4km延びて、全長173kmになったとのこと。うーん、そうだったのかあ、荒川。よくもこんな立派な川みたいな放水路を造ってくれたもんだなあ、なんて先人の努力というか造ったものの大きさとかけた時間を思いながら走ってると、自分がそこをちょこっと数時間走ってることなんか別にたいしたことでもなく、苦労でもないね。

そういうところで70数年後に老若男女が大汗かいてマラソン大会してるなんてこの川の工事に関わった人たちは思ってもいないだろうなあ。
でもおかげで楽しく走っております。
こんなふうに走ってる場所の歴史やなりたちを考えながら大会に出たり、普段の練習をするのもランニングおやじの愉しみでありますね。というか河川敷に対する、「単調」「風が強い」などのマイナスイメージを払拭するため、このようなプロジェクトX的なことでも考えながら走ってないと、やっぱり辛い河川敷走であります。

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赤水門を横から見たところ。対岸にそびえ立っているのは川口のエルザタワー55。荒川を走ってるときの目印になりますね。横から見るとてっぺんに紙飛行機が止まってるみたいに見えます。


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昭和57年に現在の水門(青水門)ができるまで実は東京下町を水害から守ってきた赤水門。現在は役目を終えているが歴史的建造物として東京都に選定されている。元々はグレーだったそう。赤といっても実際はオレンジっぽい色。さび止め塗装なんでしょうかね?


更新:2004.2.16
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