2002年にホノルルマラソンに参加した翌日、痛い足でアラモアナビーチまで行ってグターっと寝てたんですが、その時、地元の人々がやるスイム&ランの授業を見ていて、「今度ハワイに来たら、青い海をどこまでも泳いでみたいさ(鍛練No.1023)」と思ったものでした。また、去年6月に石神井公園でアクアスロン大会を観た時も「来年は参加するかな(鍛練No.1046)」なんて生意気にも思ったはずなのです。クロールで50m以上連続して泳いだこともないくせにね。ちょっと腕にマジックで数字書いてみたくなっただけなんですけどね。
なにしろ私の場合、高学年になるころにやっとプールが小学校にできたもので、温水プールなんて近所にはありませんでしたからね。小学生がスイミングスクールに普通に行くようになるのはたぶん昭和40年代以降に生まれた人々ですね。だから私は泳げないんですな。って別に泳ぐ気も無かったんですけどジムに入会していつでも泳げる環境になると、せっかくだから泳げるようになりたいとは思いつつも、トレッドミルで走った後のクールダウン程度の位置づけで適当にへらへらと泳いでいたのです。あおり足の平泳ぎでね。
2004年も4月になり暖かくなってくると、やっぱそろそろクロールで少しは泳げるようにならんとなあと思いターザンの水泳特集で北島選手が表紙のやつなどを見つつ、要するに息継ぎができれば人間溺れずに泳ぎ続けられるようで、今まで私は水中で頑張って息を止めていたことがそもそもの根本的な間違いであり、水中では息を吐けばいいという、泳げる人にとっては「何あたりまえのこと言ってんのこのおやじ」みたいな超初心者な基本原理を初めて理解したのでした。ああ、ターザンはありがたいなあ。
そうだよね、吐かなきゃ吸えないんだよなあ。
2年間それなりに走ってきたおかげで心肺機能もそこそこ向上しているせいか、息継ぎさえできれば案外簡単に連続して泳げるようになり、キャッチとかプルとか難しいことはとりあえず置いといて、まずは25mプールを1往復、50m続けて泳いでみた。ちょっと休んでから、さらに1往復と、まあ何とか泳げますな。ただとっても遅いです。でも100mならなんとか足をつかずに泳げそうだな。たしか練馬区アクアスロン大会は200mだったから途中から平泳ぎにすればなんとかなるでしょうと4月までは思っていたわけです。
そうはいっても、やっぱり途中で平泳ぎになるってのはカッコ悪いよなあと思い、他の人が泳いでいるのをチラリと見たり、水泳入門みたいな本を古本屋で買って読んだりして少しづつ地道に研究しておった次第です。
で、5月の連休明けに練馬区アクアスロン大会のエントリーが始まりました。あらら、成人男子は50歳を越えるとスイム200mだけど、私の年齢だとスイムは400mかあ。まいったなあ、400かあ。でも、「来年は参加するかな」とインターネット上で地球の皆様に公言した手前、いまさら「400mだとちょっと・・・」とも言えず、よーし、ここは頑張ってクロールを会得するかあと思ったわけです。たった陸上トラック1周じゃありませんか。そうたった400mなんですけどね・・・。25メートルプール(短水路というそうです)だと8往復もあるんだよなあ〜。
こうしてクロールを集中的に練習するスイミングクラブライクな日々が5月から始まりました。