2003年の第9回大会は、無念の第2関門リタイアだったわけですが、記念すべき第10回大会は?
前回ひと月前に24時間走などやってしまい、完全にオーバーユース、障害てんこもり状態で参加した為、練習は控えめ?で臨みました。膝に不安はあるものの、痛みと付き合っていく経験が出来ているのは、前と違うところ。
ついでにフルパックのツアーで参加した初回と違い、宿の手配のみを旅行社に依頼したのも、進歩?かな。単に同じ位の料金が掛かるならマイルを貯めたかったのと、空港から長時間バスなのが辛かったというのが理由なんですけどね...。JR利用を予定していましたが、高知龍馬空港で、こじろうさんにばったり。レンタカーで移動するということなので、しばし躊躇った後、同乗させて頂くことに(でも乗り物酔いで、大変なご迷惑を掛けてしまうことに)。感謝&ごめんなさいです。
宿泊は高台にある(後々疲れた足には結構キツイ)、なかなか趣味の良い安住庵という宿でした。三人部屋で不安もありましたが、おしゃべりもはずみ二晩目など夜更かししそうなほどで、こんなところもウルトラの魅力の1つではないかと思えます。シングルの部屋も一人でゆっくり出来るのは良いのですが、折角のウルトラなら、相部屋は同じ趣味の人と語り合える良い機会ですね。
肝心のレースですが、既に痛みの為に歩き始めていた前回の峠越えとは違い、体力温存の為に上りは無理の無い程度に歩きを入れ、下りも歩幅を狭くしてダメージを少なくしたのが良かったのか、人もまばらだった半家の沈下橋は行き交うランナーがいっぱい。リタイアした第2関門もまだまだ走れています。
初めて訪れるレストステーションでは、名前がコールされて感激です。長居は走れなくなる元と思い、Tシャツを着替えるのはやめ、ポーチに入れてあったデジカメは、予想外に走れているので足を止めるのが勿体無くて、荷物預けに置いて行くことにします。足首に湿布を貼って出発です。
岩間の沈下橋もかろうじて走っています。遅いながらも85km位まではなんとか走っていたと言えるでしょう。進歩したもんです。でもその後は、またもや歩いたりストレッチしたりの繰り返しです。声を掛けられても、返事をする余裕も無くなってきました。応援の前だけちょっと身体を弾ませても通り過ぎるとすぐ足は止まります。そんな私を抜かしていくのは、結構女性が多いのです。それも年配の方の方が、ゆっくりながらも着実に歩を進めて行きます。見習いたいものですが、なかなか...、未熟もんです。薄暗くなってきて、首にかけるペンライトを渡されてしまいました。
ゴールの手前、95km以上走ったり(歩いたり)して来たというのに、また結構な坂に出くわしました(高低図では100m有るようです。信じられません!)。応援も多いのですが、まったくもって走れず。
下りきってゴールの直前で「お帰りなさい、完走おめでとう」と紙吹雪をかけてもらい、感極まります。あれだけ動かなかった足も、最後だけはなんとか走ってくれました。
完走メダルをかけてもらい、アイシングの場所でへたり込みながら「あんなに歩かなければもっとタイムは縮まる」と早くも次回の参戦を考えていることに気付きます。ウルトラの世界はタイムを競うものではないと思いつつ、満足のいく走りでもなかったことで、またもやリベンジに燃えてしまいます。記録が頭打ちになったらなったで、走りそのものを楽しもうと思いますが、もうちょっとだけ、欲を出しても良いですよね?