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1月17日に 2006

2006.1.17
ショーブン

No.1311

光が丘公園は走るにはほんとうに気持ちのよい公園である。いろんな人がいろんな楽しみ方をしているのを見るのも心やすらぐ。こんもりした森を味わいながらふかふかな落ち葉の上を、なだらかな起伏を楽しみながらアスファルトを気ままに走る。高層住宅を望む広場が開けると夏の水場では子供たちが半分裸でキャアキャア遊んでいる。音楽のボリュームをいっぱいに上げて自転車の曲乗りに興じるティーンがいる。ラジコンカーがうなりをあげて何台もレースのように走っている。池ではいつものおじさんが鳥にパンを投げている。広場を過ぎると今度は右手にテニスコート。プレーしている人たちが皆とても上手にみえる。左は4面もあるおおきな野球場。誇らしげなユニフォーム姿のプレー、それを見物する自転車にまたがったままのおじいさん。四百メートルトラックの中の原っぱでは凧上げやキャッチボール、サッカーに興じる親子、ストイックな人ばかりにみえる壁打ちテニスコート。最近はローラーブレードの親子が増えてカラフルなスコーンを路上に並べてスイスイ滑っている。コースをそれて「森の中」へ入ってみるとトランペットを練習する音。カルキのにおいがして、水飲み場で喉を潤す。「うまい、よしもう一周」また一周と距離を踏むうち、二人乗りのカップルにぶつかりそうになって、こちらもふらふらしていることに気付く。すっかり夕方になっている。

かつて転勤で西宮市に移り住んだ四年の間に阪神大震災に遭いました。震度七、同じ町内で亡くなられた方も多く、いまもって思い返す度に、生きていられることに感謝する気持ちで一杯になります。六甲山系の東の端から西宮浜まで南北に流れる夙川の両岸は桜の名所で夙川公園としてきれいに整備されていました。何度も朝な夕なに訪れたものでした。同じく六甲山から芦屋の浜まで流れる芦屋川。古くから風光明媚でしられるこれらの川岸の松林、二本の川を結ぶ浜沿いのサイクリングコース、それから西はヨットハーバーや甲子園球場まで、東は灘へとつづく酒蔵通りは大好きなジョギングコースでした。

地震直後、それらにはアスファルトに大きな亀裂が走り、ところどころ崖のようにせりあがりあるいは陥没し、歩くことさえままならない変わり果てた姿。自然の力の凄まじさに、人間の作ったものの脆さにただ涙するばかりでした。公園やグラウンドには震災の後、仮設住宅が建ち並びました。光が丘公園にも甚大な災害の時には遠くからもたくさんの人々が避難して来ることでしょう。水や食料を配る光景が目に浮かびます。。自衛隊による仮設の大風呂は、若者がラジカセを鳴らしている広場のあたりでしょうか。野球場やテニスコート、トラックにはきっと仮設住宅が建てられることでしょう。

家族全員が無事に、東京の実家に避難できたことは幸運でしたが一人しばらく被災地で暮らした私はすでになんの助けにもならずむしろ逆に地元の方に助けられたりでした。こんど東京で、すなわち自分の地元でなにがおきても、もう逃げ出す先はありません。普段は公園でたのしませてもらっている地元住民として皆の助けになろうと切に思います。公園の水飲み場の水のありがたさと、蛇口から水がでない長い長い時間の畏れを知るものとして。

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上:桜のころ、それはそれは美しいトンネルに
下:とおくに見えるのは甲山(かぶとやま)といいます


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上:海辺へもあっというまにいけました
中:とおくにみえるのが六甲山系、海沿いを走ります
下:芦屋浜の近代的な建物群を眺めながら


更新:2006.1.17
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